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日本スペインギター協会40周年

創立40周年記念祝賀会の案内状を頂きました。
心からお祝い申し上げます。
数年前コンクール終了後の打ち上げの席で設立者の大沢先生から突然「思い出したよ、僕昔一度君を教えたことがあるよ」と。
いいえ、40年前くらいに師匠の中林先生が毎年海外へコンサートに行っておりその間2度レッスンを受けていますよ。
お世話になりました。本当におめでとうございます。
私が所属している公益社団法人日本ギター連盟ももうすぐ50周年。
役員を務めているギターリーダースクラブ(GLC)が今年6月1日で満35年となります。
GLC学生ギターコンクールも今年が38回目、節目の40回記念コンクールや4年後の設立40周年も目の前でそろそろ準備に掛からなくては。
ギター界発展の基礎を築いた先輩先生方、世界の中でも一流となった現在の若手ギタリスト諸氏。
この業界の最大の発展期で育ち活動できた我々世代も結構幸せだったんだな、としみじみ感じています。


指が少し回復してきました(2013年2月2日)

昨年末のコンサートが無事おわり、手を休めながらしばらく弾いていなかった昔のレパートリーを引っ張り出してのんびりと楽しんでいます。
鍼治療で強張りをほぐしたり釣りへ行ったりとリラックスして過ごしていたところ指が少し楽になりまた「アルハンブラの想い出」が最後まで動いてくれました。
この病は書道家の「書痙」やゴルファーの「イップス病」と同類らしく、神経を詰めるほど良くないみたいです。
この変な病、プロ音楽家には沢山いるのにアマチュアでは自分の周りの範囲では聞いたこともなし。
やはりストレスときつい動作の繰り返しがミックスして起こるのでしょうか。
しばらくは現状で楽に弾けて生徒さんやギターやクラシックを知らない方にも楽しんでもらえる曲を中心にコンサートを企画する予定です。
また次のリサイタルにと準備してきた大曲はしばらく封印し、代わりに上級クラスの生徒さんに弾いてもらうよう指導を初めています。


指の麻痺の病名が判りました(2013.01.29)

ジストニアの一種だと言うことで、特に音楽家に特有の特発性ジストニアだそうです。
1945年頃に何となく右手指の動きがおかしいな、と感じ始めてからその後どんどんと進行。
始めは1994年千葉県我孫子市での国立音大出身演奏家中心のコンサートに出演した時のアンコールで「アルハンブラの想い出」のトレモロが何かおかしい。 右m指が空振りしそう。
1945年のリサイタルでは「ブラテロと私」の「Ⅰ-ブラテロ」のmi,mi,・・・の動きが引っ掛かる。
そうこうしている内に右i指が曲がると元に戻りにくくなって来て(pimi-pimi-・・・)やトレモロが全くできずに。
同じ病を持つ先輩から「その内禁じられた遊びも引けなくなるよ」と言われた1年後にその通りに。
最初の頃は年齢の衰えもあって、それに対してトレーニングが不足しているのかと基礎練習を増やしたのですが、その時には病が原因とやっと気がついて。
2001年頃にはi指が動かなかったり逆に予期しない動きになってレッスン時ズンチャッチャッ程度の伴奏もまともにできないまでに。
埼玉の整形外科・医大、はては整形外科で手指専門の医師を中心に東京中の医大を渡り歩いた結果は全て原因不明。病気扱いさえされていないことも。
それが2008年頃にほんの少し動かせるように。
少しずつ、少しずつ動きが増える中徐々に原因は脳神経にあるのではとの考えが広がってきました。
その後はトレモロも可能になり、(pimi-pimi-・・・)や早いアルペジオ以外はかなりのところまで演奏可能になり少しずつコンサートに復帰し始めましたが最近再び悪化してきています。
指の麻痺の中仕事での演奏が体中の筋をこわばらせ色々な疾患を引き起こしており、ある医大で東洋医学科の鍼治療を受けることになったのですが対処療法としてかなり効果があった様子。
多少良くなったと鍼治療をさぼった途端の再悪化であわてて再び治療に通っています。
その様な中とある書店で見つけた書籍が「ジストニア」についての書籍。
癲癇にもよく似たジストニアですがその中で音楽家に特有の職業病としての「特発性ジストニア」の記述を読みやっと自分の障害に病名を付けることができました。
2008年には「特発性ジストニア」患者の会であるNPOもできていることを知り、ネットを調べる内にジストニアの音楽家専門外来を持つ病院も見つけることができました。
仲間の音楽家にも沢山同病者がいますが皆原因不明で悩んできました。
今後このブログに症状や治療と状況など少しずつ書いていきたいと考えています。